ウィーンの教会と名所歩き

                      写真をクリッツクすると大きくなります。

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聖シュテファン大聖堂北側になるのかな馬がいる

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左写真より正面近く

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これが聖シュテファン大聖堂の正面のようだ。とにかく時代を感じる。その重さで押しつぶされそうだ。

 

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137Mのシュツテツフル

カフェ事情を視察中突然ススで真っ黒くいぶされたような巨大な建築物が現れました。馬が歩いているし??と思いました。このように巨大で重みのある教会は見たことがなかった為にしばし呆然の驚きでした。これがウィーン子の愛着が込められておりシンボルである 聖シュテファン大聖堂である。ゴシック建築の卓越した作品である。1957年からアド-ラ塔と呼ばれる未完成の北塔(高さ60M)にあるプンメリンは世界で最も大きな鐘の一つである。これは1711年トルコ軍から分捕った大砲の金属で鋳造したもので、はじめは南塔に吊るされていたが、1935年4月の火災により落ちて粉々になってしまった。その破片から新たな鐘が鋳造され、今では毎年ウィーン中に聞こえるように鳴り響いている。

 

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ミヒャエル広場 ミヒャエル門の両側にある戦い倒れるヘラクレスの像と正面の壁の噴水がある、この噴水の彫刻像は「陸の支配」と「海の支配」をあらわしている。バロック様式のアマーリエ宮殿には、フランツヨーゼフ妃の皇后エリザベートが居室を持っていた。ミヒャエル門の正面に凹凸のないビルがあります(写真では右端のビル)、ミヒャエル広場のロース館で店舗と住居を兼ねたこのビルは建築家アドルフ.ロースが1910年に紳士服店の依頼で建てたもので、当時のウィーン子にあまりに大胆で革新的なので建設中断の騒ぎもあった、フランツ.ヨーゼフも憤慨した。ロースは住居と店舗をチポリの大理石で区分けし窓に花棚を設置し新しい建築様式を切り開いたのである。

 

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国会議事堂(バスの車窓より)

ヘニムズム風古典様式のこの建

物はテフォフィール.ハンゼンの設計で1873〜1883年に建てられた。コリント風の柱が八本中央部分は、ギリシャ神殿を思わせる。1918年までハンガリーとの帝国議会が開かれていたが、現在は国民議会と連邦議会が入っている。

奉納聖堂 Die Votivkirche

1853年、皇帝フランツ.ヨーゼフ一世の暗殺が未遂に終わって助かったことを感謝して建てられたのがこの新ゴシック様式の奉納聖堂「天の救世主へ」である。設計はハインリッヒ.フェルステル。アントワープノ 祭壇はフランドル地方の木彫りである

 

 

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英雄広場Der Heldenplatz

王宮前の広場に立つ戦士の英雄像二体にちなんでいる。1809年にアスペルンでナポレオン一世を降したカール大公とオーストリアの人気将師オイゲン.フォン.サヴォイ公である。アントン.フェルンコルンが19世紀に作成した。写真左側に写っているのはオイゲン公記念碑のようだ。

 

会いたい人 田舎風レストランシューンブルン

ハイリゲンクロイツ(バーデン郊外)聖レオポルト三世は息子の勧めで、このシトー会修道院を建てた。修道院の一番古いロマネスクの一部は(聖母被昇天)12世紀さかのぼるものだ。中は1220年頃を忍ばせてくれた。廊下の張り 泉の館にはグリサイユガラスの窓など中は写せなかったが石作りで石の回廊と言う感じだった。凄く重いこの建物は上部と下部の時代が違う、アーチの先がとがっているもの丸いものがある。